ジョン万次郎の留学記

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●日本発の留学生、ジョン万次郎

私がボストン留学をサポートする上で、知っておきたいと思う歴史上の人物が1人います!
その人物とは、ジョン万次郎(本名:中濱萬次郎、1827~1898年)です。

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若き日のジョン万次郎


万次郎は、鎖国の江戸時代に日本人が海外に出る事が法律で禁止されている時代に、マサチューセッツ州のフェアヘブンの学校で英語や航海学などの高いレベルの教育を受け、優秀な成績で卒業し、帰国後は、幕末から明治維新に英語や西洋の考え方を日本に伝えて活躍しました。

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●漁船が遭難し、奇跡的にアメリカへ

ジョン万次郎は、江戸時代末期に、高知県の貧しい漁村に生まれました。ある日、四人の漁師仲間と漁に出ていたら漁船が遭難し、143日間、無人島で生活しました。漁船も大破し、食糧も尽きてきて助かる望みも少ない中、偶然、米国マサチューセッツ州からやってきた捕鯨船、ジョン・ハウランド号に救われました!

今とは違って、普通の日本人が西洋人を見た事もなかった時代です。南蛮人は鬼だと思って本当に恐れていた人も多い時代の様です。もちろん、英語教育などない時代ですからハローの挨拶すら全く理解できなかったでしょう。

そんな中、14歳の日本でまともな教育も受けていない漁師の子供であった万次郎が、アメリカ人の船員たちと積極的にコミュニケーションを交わし、英語だけでなく、アメリカ人の考え方も吸収していきました。そして万次郎はアメリカ人たちから、親しみを込めて「ジョン・マン(John Mung)」と呼ばれる様になりました。

万次郎の4名の漁師仲間は、ジョン・ハウランド号がマサチューセッツ州へ戻る中継地のハワイで降ろされて、そこで生活することになりました。しかし、万次郎だけは子供のいない船長のホイットフィールドさんと信頼関係を築き、養子になるという条件でマサチューセッツ州に住む事になりました。

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万次郎を養子にしたホイットフィールド船長


●マサチューセッツ州での生活

1800年代のアメリカでは、奴隷制度が行われていました。そして、マサチューセッツ州には、万次郎の様な東洋人はいなかったでしょう。万次郎が10代の子供とはいえ、彼に対する差別や偏見は、かなり厳しかったと想像できます。事実、いくつかのキリスト教の教会が万次郎の礼拝を認めなかったという記録もあります。

しかし、万次郎は、その様な状況にめげるどころか、持ち前の明るさで差別や偏見を乗り越え、同世代のアメリカ人の仲間の中に入っていき、深い友情関係を築いたり、素敵な女性と恋をしたり様々な経験をして成長していきました。

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万次郎がマサチューセッツで生活した家


●アメリカから帰国後

アメリカから帰国後、万次郎は、アメリカでの特別な経験を評価され、漁民から武士へと昇格し海外で起こっている実情を幕府の人達へ伝えました。鉄道などの日本にない近代技術や民主主義や大統領制の考え方など目で見て感じたものを伝えたといいます。そして、江戸幕府とアメリカ政府の中間に立ち、日米和親条約の締結に尽力しました。幕末から明治にかけて、万次郎は、海外の事情を日本人に伝え、英語教育の普及にも努めました。彼の教え子には、福沢諭吉や三菱財閥を作った岩崎弥太郎がいる程です。

万次郎が教えた英語の発音は、下記の様なものがあります。一般的な日本人が考える英語の発音とは異なり、アメリカ人が発音するものに近いものです。

water: ワラ
cool:コール
man:メアン
Sunday: サンレィ
New York:ニュウヨゥ
America:メリカ 
cat:キャア 
cold:コオル 
girl:ゲエル  

●私が思う事

ジョン万次郎が留学したフェアヘブンの近くのボストンには、毎年多くの日本人の留学生が学んでいます。もし、留学中、時間があれば是非、彼が学んだ街、フェアヘブンの街を訪問されてみてください。ジョン万次郎トレイルという、万次郎にちなんだ史跡を回る道があります。言葉も文化も全く通じない逆境の中から、チャレンジし最後にはアメリカ人に愛されるまでになった万次郎のスピリットを知った頂きたいです!私は、時代を超えてた価値があると思います。

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